※この記事は過去生探索を元にした小説もどきです。私の体験結果を元に描いていますがあくまでも「小説」としてお読みいただけますと幸いです。
前話

それから数年が過ぎた。
成人を迎え、一人前と認められた蘭に、養父はその日の夕餉の席で切り出した。
「蘭ももう成人だ。そろそろ妻の一人くらい娶ってもよい頃だろう」
「いえ、私などまだまだ若輩者にございます……ですが、義父上。差し出がましいとは承知のうえで、一つご提案申し上げたく存じます」
「ほう。もしや娶りたい姫でもいるのか? お前もなかなか隅に置けぬな」
「いえ、そのようなことは……」
「どこの家の者だ? わかっているとは思うが、婚姻とは家同士の結びつき。感情だけでどうこうできるものではないぞ」
「はい。その点は、わきまえているつもりでおります」
自らの想いを口にしても、同意を得られるとは思えない。
そう理解してなお、蘭は重い胸を押さえつけるようにして、養父へと己の意向を打ち明けたのだった。
*
蘭が邸を去ってから黎の心にぽっかりと空いた穴は、そう簡単には埋まらないでいた。
多忙な蘭が時間を見繕って自分のもとを訪ねてくれることは嬉しかったが、同時に小さな独占欲も芽生えていた。
それは、まるで大切にしていたおもちゃを取り上げられたときのような感覚。
そんな幼稚な感情を抱えた日々が続くなか、ある日、黎は邸内で蘭の噂を耳にする。
仕事をしながら交わされる女中たちの世間話は、いつしか年頃の娘が好む色恋話へと移っていった。
黎も十になる頃で、人の色恋に興味を持ち始めていた。
ましてや、大好きな従兄の話となれば、気にならないはずがない。
聞き耳を立てていることが悟られぬよう、ひっそりと様子を窺った。
「ねぇ、聞いたかしら? 以前、珠家に養子に行かれた季峰様の噂」
「ええ、ええ。どうやら、お嫁様をお迎えするみたいよ」
「季峰様は小柄で細身だけれど……人当たりもいいから、きっと引く手あまたなのでしょうね」
「でも、季峰様ったら、昔からお嫁様を選んでいたみたいじゃない?」
「それがね……」
周囲に人がいないことを確かめ、女中は狐のように口元を歪めて続けた。
「どうやら、その姫が『施姓』だったみたいでね。あちらのお父様に却下されたそうなのよ」
「まぁ、それはそれは……季峰様も、もの好きね。血族婚を望まれるなんて」
「珠姓になったから問題ないと思われたのでしょうけれど……やはり、避けられるなら避けたほうが賢明ですもの。あちらのお父様の意向に従って正解ですわ」
※古代中国では、血のつながりがなくとも同姓であれば「同族」と見なされ、婚姻は避けられる風習があった。逆に別姓であれば、血縁があっても婚姻が可能とされた。
まるで見世物を楽しむかのように、女中たちは声を立てて笑った。
その笑い声を背に、黎は胸の奥が静かに冷えるのを感じた。
兄が誰かと番うこと――それは本来、祝うべきことだ。
けれど同時に、「施蘭の妹」でいられる時間が終わりへ向かっているのだと、初めて実感した。
整理できない気持ちから目を逸らすように、黎はその場を後にした。
*
それからしばらくして、定例の逢瀬のために蘭が施家を訪れた。
彼が成人し、王から領地を任されて間もない頃のことである。
たったひと月――されど、ひと月も会わないでいると、成長期の蘭は見違えるほど逞しくなっていた。
その変化は、黎にとって知らない誰かになっていくようで、寂しさを覚えさせた。
しかし、それは蘭も同じだった。
日に日に大人びていく黎の姿を前に、彼は一瞬だけ言葉を探すような沈黙を挟み、やがて何事もなかったかのように微笑んだ。
「黎黎、大変ありがたいことに、俺は殿から土地と職位を賜ったよ」
「ええ、ええ。兄さまは優秀ですもの。私も末妹として、とても誇らしく思います」
「ありがとう。お前なら喜んでくれると思っていたよ……それでな、今のように月に一度も会えなくなる。その土地を守らねばならないから、こちらへ戻ることは少なくなるだろう」
「……また嘘をつくのですか? 冗談はよしてくださいまし」
「嘘じゃない。冗談でもない。本当だ」
「どうして兄さまは、いつもわたくしを置いて行かれるのでしょう……そんなひどい話……いえ、なんでもありません」
黎の前では変わらず「施蘭」であり続けた蘭は、婚姻を機に完全に別の家の人間になる。
そのとき、自分はどこまで踏み込んでよいのだろうか。
答えを聞くのが怖くて、黎はそれ以上、言葉を続けられなかった。
何か言いかけて口を閉ざした黎の様子を、蘭は見逃さなかった。
けれど、すぐに問い詰めることはせず、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「黎? ……誰かに、何か言われたのか?」
その声音が、いつもよりわずかに低いことに、黎は気づかなかった。
問いかけに沈黙を守る黎だったが、蘭がそれを許すはずもない。
促されるように、彼女は渋々口を開いた。
「……聞きましてよ、兄さま。お嫁さまをお迎えになるのでしょう? わたくしも、もう十を過ぎた『大人』ですのよ。そのくらい、わかっていますもの」
「……もう、お前の耳に入ったか」
「ええ。女中たちは、とてもお喋りなんですもの。……兄さまは素敵な方ですから、お嫁さまも、きっとこの乱世で兄さまと結ばれてよかったと仰いますわ」
「もう、『兄さまのお嫁さまになるのは黎だ』とは聞けなくなるな」
「そんなこと、もう言いませんわ。わたくしだって立派な淑女。子供のような駄々はこねません」
「俺にとっては、まだ子供だが」
「まぁ! 兄さまったら、失礼ね!」
軽口を叩いたあとの静かな間。
黎は、そっと蘭の手を握った。
幼い頃から変わらぬその温もりに、見守られてきた日々が胸によみがえる。
その手が、少しだけ力を込めた気がしたが、黎は「縦兄は心配性なのだ」と思い、気にも留めなかった。
「ねぇ、兄さま。どうか幸せになってくださいまし。兄さまが幸せが、黎の幸せですのよ」
その言葉に、蘭は一瞬だけ視線を逸らし、それから笑った。
「熱烈だな」
「そう聞こえてしまう?」
「他の男なら、そう思うだろうな。お前の今後が心配だ」
「まぁ! わたくしが、はしたない女だとでもおっしゃりたいのですか?」
「そうじゃない。ただ、ずいぶんとおませさんだと思っただけだ」
両手を広げて「おいで」と合図すると、黎は迷いなく蘭の腕の中へ飛び込んだ。
十になったとはいえ、結局はまだ子供だ。
縦兄に甘えたい気持ちが、消えることはないのだろう。
あくまでも「兄」として慕ってくる妹を、蘭は優しく、大切に抱き留めた。
「ありがとう、黎黎。お前も幸せになるんだよ」
「ええ! もちろんですわ。兄さまに負けないくらい、黎も幸せになりますわ。必ず」
そうして、季節が巡る前。
黎は遣いの者から、珠蘭がある家の姫と婚礼の議を行ったと聞かされたのだった。
②おわり